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2008年8月13日

709 野田一夫ファンクラブ

 8日夕仙台都心の「ホテル江陽」で恒例の「野田一夫ファンクラブ」が開かれ、冒頭例の調子で元気一杯のスピーチをしながらも、僕の心はいつしか十年の昔を彷徨っていました。

  1997年県立宮城大学が創設されるや否や、初代学長の僕は当然のことながら、革新的な運営方式を次々に実行に移そうと試みましたが、これに反対する一部教員らがある県会議員を動かし、議会でしつこく学長批判を繰り返させました。

  そんなことで引下る僕ではありませんから、僕もマスコミで派手に応戦しましたが、政治家には弱い当時の県幹部は困り果て、かえって僕に自重を促しにくる始末。(東京なら考えられない事態に嫌気がさして)「学長は職を放り出すのでは…」という噂が広がった時、誰言うとなく地元各界の有志が僕を励まそうと結成してくれたのが、このクラブでした。

  「21世紀を拓くに足る公立大学を創ろう…」と古希を過ぎた身で誰一人親友のいなかった仙台に単身赴任してきた僕にとって、ホテル江陽の一室に百人を超す人たちが集まって開いてくれたファンクラブ第一回会合の有難さは忘れられません。世界各国にファンクラブは何万とありましょうが、学長のファンクラブは多分一つしかないのも、僕の自慢の種。

  それに、今年のファンクラブは華やかなおまけつきでした。7日〜8日は(青森ねぶた祭見物の帰途立ち寄った)“ジュディ”に七夕祭の仙台をたっぷり満喫してもらい、帰京する9日の午後には、たまたま來仙した“由美(かおる)ちゃん”と“劇的対面”し、暫し懐かしい会話を楽しんだからです。

  理想を追い求めながら、懐柔のしたたかさも堪忍の度量も無いが故に常に激しい人生を送って来た僕にとって、親しい友の存在は家族とともに、正にこの上もない生き甲斐です。

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2008年8月5日

708 ジャパノロジーの系譜

 松岡正剛君は日ごろ折あるごとに僕を「親父さん」と呼んでくれますが、日本文化を語らせれば当代その学識の広さ深さで敵う者のいない碩学の同君を、僕はむしろ年少の師匠と敬愛します。そういう親しい仲の松岡君の隔月全6回の連続講義『ジャパノロジーの系譜』が31日から始まりました。

  聴き手は、進行役を兼ねる福原義春氏(資生堂名誉会長)や山口昭男氏(岩波書店社長)など各界の知識人40余名。講義は毎回16時から(軽食休憩を挟む)20時までという長丁場で、第一回は、茶道とか能楽に象徴される日本的美意識ないし思想(=“侘び”、“寂び”)の源流が語られました。

  文字を持たなかったわれわれの祖先が、朝鮮経由でもたらされた漢字を使って意とすることを何とか記し始めたのは4〜5世紀頃とされていますから、大和朝廷の展開期。数百年間の習得の典型的成果こそ、天皇の神聖と正統性を叙述し、同朝廷の権威づけに大きく寄与した『古事記』と『日本書紀』。

  松岡君は、この古事記、日本書紀の中にすでに表れている独特の“空”の思想が、(仮名化した漢字での)『万葉集』中のほぼ同時代の幾つかの庶民の作品ではより人間的な無常観(心象こそ永遠)として歌われていることを指摘し、仏教が必ずしも日本的情感の源とも言えないと、微妙な示唆。

  この示唆は(松岡君に確かめませんでしたから)僕の単なる思い込みかも知れませんが、仏教がインドはもちろん中国でも韓国でも短期間で衰微したのに、最後の伝来国では(形式はともかく教義において他国のそれとは一線を画す)“日本教”としてしぶとく生き栄えてきていることは事実です。

  “幽玄”とは結局、全てを“おどろおどろ”しく同化していってしまう日本国の究極の美であり思想なのでしょうか。

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2008年7月29日

707 多摩大学学長代行の4ヶ月

 「まだ多摩大の学長代行をしておられますか?」「うん、やっと4ヶ月過ぎたけど、そのうち解任されるだろうね…」(驚いた様子で)「何かまずいことでも?」「いや、別に…。しかし僕の性格で、黙っておれない事が多すぎて、会議の席でも理事長につい大声で苦言を呈したりしてるからね…」(笑い)。

  「創設者でもいろいろご苦労があるんですね…」「僕の性分でね。もう創立後約20年経ってるから、放っておいても組織は動いているんだが、どうも現状がいろいろ気に入らなくてあちこち直そうとすると、それぞれ慣習や人間関係の壁に阻まれる。要するに、若いと思われている多摩大も、組織という点では、もう相当な年寄りになってるんだよ…」(暫し、間)。

  「創設期のご苦労に比べていかがですか?」「白いキャンヴァスに画きたいように絵筆を走らせたわけだから、創設期の苦労なんて記憶にないよ。楽しいことばかりだった。が、今の多摩大改革は、言わば、僕が最初に6年間画いて筆を擱いた未完の絵に14年ぶりに向き合い、後継者がそれぞれ手を入れた部分を僕の好みで消したり修正したりする仕事で、苦労する割合にはそれほど満足感の伴わない厄介な仕事だね…」。

  「“第二の建学”のため頑張っておられるのですね…」「とんでもない。それはすでに内定している次期学長の仕事。僕は確かに初代学長として個性的な大学を創ろうと志したが、その志にこだわる気は全くない。現在の僕の役割は、次期学長が就任と同時に“第二の建学”に取りかかれるための“地ならし”。絵で言えば、一流画家が手を加えれば、見違えるような作品になっていくよう画面を整えておくことだけさ。が、多摩大に対する愛とこだわりの強さは改めて感じているよ」。

  以上は、先週半ば、ある親しい年少の友人との会話でした。

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2008年7月22日

706 感動のチャリティー・コンサート

 サンディ・ラム、John-Hoon、JULY, イーキン・チェン、 alan、アーロン・クォック…、お分かりですか? 日本を含むアジア諸国の若者の間で目下人気のヴォーカリスト。…w-inds、JAYWALK、TOGI(東儀秀樹)+BAO、中孝介、日野皓正、イルカ、南こうせつ…、少なくともこの後半はどなたもご存知の日本人音楽タレント。以上の豪華メンバーを動員できたおかげで、先週月曜東京国際ホールでの「四川大地震チャリティー・コンサート」は一夜で3,000 万円の収益金(=義援金)を集めるという大成功のうちに幕を閉じました。

  催しを終始主導したのは、ジュディ・オング。先月初め彼女から電話がかかってきてこの話を聞かされた時、「7月中旬に…」と聞いて驚いたものの、熱意に動かされて直ちに何人かの友人に協力方を要請しました。その時の彼女の「ジャッキー・チェンが二つ返事で賛成してくれたの…」という弾んだ声が忘れられませんが、あれだけのタレントを、わずか一月半で集められたのは、二人の人柄と実力の何よりの証明。

  ことにジュディは、開催日までは、スポンサーや広告主などへの依頼、マスコミとの接触、観客確保からステージでの演出、果ては出演者のためのホテル客室の確保にいたるまで、一流プロデューサーも顔負けの働き、他方開催日当日は、最初の主催者および出演者を代表しての挨拶、途中でジャッキーとの息抜きのトークショウ、フィナーレで(懐かしい天使の衣装をまとっての)『魅せられて』の絶唱に至るまでの完璧なホスピタリティ。いやぁ、改めて、頭が下がりました。

  それにしても、5,000席を埋め尽くした観客のどよめき、出演者の熱狂的ファンと思しき若い女性の嬌声と打ち振る色とりどりのペンライトの光…。終始感動の3時間半でした。

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2008年7月14日

705 アンクラージュ御影の完成

 僕の年少の友人小中村政廣君は、関西を中心に長く手広く個性的なマンションの建設・販売を手がけてきましたが、いよいよその集大成(と言うのは、次に同君が手がけようとしているのは、西神地区に自社が所有する20万uの開発で、是はもう“街づくり”)とも言うべき「アンクラージュ御影」が完成したというので、芦屋に住む麗清さん(モデル出身の麗人書道家)を誘い、先週土曜に日帰りで視察してきました。

  御影は芦屋と並ぶ日本きっての高級住宅地。アンクラージュ御影は、その山の手の絶好地2万u強の南斜面につくられた長大な三層構造・三棟構成・218邸のシニア向け超高級マンション。背後には六甲山系の国有林の緑を擁し、眼下に神戸港と彼方に蒼い瀬戸内海を望み、しかも阪急御影駅からは至近の距離。イタリア人デザイナーが総力を傾けたハイセンスのエントランス・ロビー、ダイニング・ルーム、プールサイド・バー…。水と芝と石と木々で見事に創られた広大な前庭を散策する至福。最新の厨房と一流調理人の供する京料理。…となると、これはもう高級リゾートホテルですが、それに「日々の健康管理から緊急時の対応まで、安心のサポート体制」と謳われる医療・介護サービスが保証されているのです。

  実はこの事業、僕は大いに責任を感じます。還暦過ぎてから20年余、“高級”と銘打った老人用マンションを嫌というほど案内された僕の結論は、「これらは全て、老人になったこともない連中の観念の産物。ハード(特定介護施設など)からソフト(終身利用権など)まで、根本的に再検討の要あり」。この辛口評が、小中村君の御影プロジェクトの最初のヒントとなったとのことなのです。その意味で、当日の麗清君の「…私もここへ入りたい!」の一言は、僕には最高の癒しでした。

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2008年7月8日

704 素晴らしき哉、個性的人生

 2日午後は、オフィスに現れた宇沢(弘文)君と長い時間談論。日本を代表する世界的経済学者である同君と僕とは専攻分野から思想から趣味から…何も一致点がないのですが、なぜか気心が通じて、もう30年以上の交友がつづいています。

  僕が同君を尊敬するのは、本業では理論の粋を極めながら、“不適切な現実”に対しては、成田の土地収用であろうと、自動車の引き起こす公害であろうと、過激派とも受け取られる行動に出て、しかも相手からは敵視されない人徳です。

  洞爺湖サミットにからんで同君の目下の心配の種は、地球温暖化の阻止を目的に各国に課せられる可能性のあるCO2の排出枠。(公平性を欠いた京都議定書にしたがい)90年基準で日本が不当に低い排出枠を課せられ、しかも超過分に対し市場での排出権購入を迫られることを同君は何としても阻止せねばと思いつめ、その具体策を求めて訪ねてきたのです。

  僕は改めて宇沢君に感激しました。特定国だけに対する排出枠の設定はもちろん、排出権の市場取引などというものにも絶対反対の僕ですが、友人知人を促して反対運動を進めようなどという思いつめた気持ちになったことは全く無かったからです。真剣な同君に動かされて早速具体策を練り、影響力甚大と思われる某氏に電話で協力方を要請し、行動開始!

  学者としての宇沢君のこの30年来の志は、“社会的共通資本”(自然環境、公共的交通機関、各種社会的インフラ、それに教育、医療、文化、出版・報道、金融、会計、司法、行政などの制度資本から構成される農村や都市…といった社会的共通資本)を一つの学問領域として確立すること。東大退官後20年、なお同志社大の研究所を拠点に高邁な理想を追い求める同君からは、行動する人間の凛たる気迫を感じました。

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2008年7月1日

703 縁の不思議さを痛感させられた夜

 “ヨダちゃん”こと依田巽君から自主事業創業20周年の記念品が贈られてきたのがキッカケで、僕は25日夜都心のレストランで水入らずのお祝い会を開きました。誘ったのは、予てから同君と親しいジュディ・オング、河瀬直美さんの二人。

  かつてはエイベックス社を率い「音楽業界のビル・ゲイツ」とまで謳われた依田君は、4年前内紛で同社を去りましたが、その意欲は全く衰えず、同業の「ドリームミュージック」社に指南役として迎えられ、依然業界に睨みを利かせています。

  実は同社は、音楽プロデューサーとして有名な新田和長君が新世紀への夢を抱いて同志の友人たちと起こした会社。僕と新田君との出会いは彼が東芝EMIから独立してファンハウス社を創業した頃で、すでに四半世紀の親交が続いています。

  昨年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した河瀬さんは、目下「なら国際映画祭」の開催に意欲を燃やしています。その件で後輩の安村克己君(奈良県立大教授)が彼女を僕のオフィスに伴ったのはこの2月。翌月には、依田君が東京国際映画祭の新会長に就任。この催事の推進者荒井奈良県知事は、僕が運輸省の「国際観光大学設立検討委員会」委員長をつとめていた時の観光部長。…僕が彼女に協力したい所以です。

  “ジュディ”(と呼び慣れているので…)にすっかり魅せられたのは、70年代末のレコード大賞『魅せられて』以来ですが、テレビを視聴する度に、何時か彼女と親しくなれそうな予感を強く抱いたものです。そのキッカケをつくってくれたのは特異な芸術評論家の旧友室伏哲郎君。しかも、ひとたび彼女と直接知り合って以来、共通の知人・友人の多さはともかく、その気心の波長の合い具合には、何時も驚いています。

  人の縁の不可思議さを、改めて痛感した先週の一夜でした。

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